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エッセイ



本能は人間の歴史か


「本能」と一口にいうが何気ない自分の行動・思考はどこまでが「本能」に根ざしているかは解るようで解らない。習慣・無意識・本能との違いも微妙だ。定義としては習慣や学習を抜き去った部分が「本能」なのであろう。
今私はこの書き出しにあたって以前拾い読みした心理学の入門書の要点を見返しては見たが・・私がよく言うセリフに「人間なんて所詮てめえ(自分)が一番かわいいんだよ」というのがある。これは間違いなく一つの本能のなせる業である。最低限身体の傷つくのはいやだし、できれば心地よく、更には得もしたいわけだ。これを否定したら世の中成り立たない。でも中には徹底的に個人の欲求や持ち物さえも否定した聖人、例えば「アッシジの聖フランチェスカ」の様な人もいることはいる。

世に知られるマズローの欲求五段階説の下から一番目の生理的欲求、二番目の安全保温の欲求迄は間違いなく本能の指令するところであり括ってしまえば保身が本能の根源といえる。それは人間に限ることではなく全生物共通ともいえよう。

だが、人間に関して言えばこの保身一つ挙げてもとる行動が他の動物に比べズバ抜けてしまった。身体的のみならず社会・身分的に守り・生き残る力を持っているか(磨いてゆくか)が他の動物に比し格段に求められる。例えばうまく嘘をつく・トボける・お世辞を言う等の芸当等々。

二百万年とも四百万年前ともいう猿人(直立歩行)に遡り、現人類の体格がほぼ定まり文化の兆しを得たとはいえ原始時代と現代の比較は無意味で、私はよく約二百余年前に端を発する産業革命前と比較する。当時最も速いのは陸上では馬を利用したもの、海においては帆船である。
また空では当然鳥をめざしたがダヴィンチの発想の延長程度が精一杯で、伝説のイカロスよろしく大きな羽根を背に着け丘より飛んで死んだ人もいたことだろう。当時は何か月もかかって新大陸に行き着いたが、現代は旅客機にさえ乗ればものの十二時間程度で地球の裏側付近に着くことができるのだからおそろしいものだ。

このようにどこかに行きたい欲求―本能のウラハラに「帰巣本能」がある。日暮れればねぐらに帰りたい~火が恋しく憩いたい、すなわち外界から内界へ戻る。また逃げたいにも通じる。この稿を執筆中、深夜地下鉄ホームのベンチにうつむき座っていたらホームを歩く帰り足は女性が断然速いことに気付いた。それは女性の方が保身の傾向を強くもっているからなのかと感じた。

かの二千余年前の軍略のバイブル「孫子」にも夕方の兵は疲れ気味で帰りたがるので弱いとある。起稿にあたり「孫子」を読み返したが軍略の基本は案外人の本性・本能を利用するものが主であるように思えた。本能をうまく利用できる者はもの事をうまくはこべる者といえる。習慣性を利用する以前の問題だろう。よく考えて行動を起すのは通常是であるが「作為」の結果なのであたりはずれもある。万人共通の本能にうったえかければはずれはない。更に本能と作為を巧みに組み合わせることができれば人を操るのが容易に違いない。よって習わずとも本能の力をかぎ分けられる者は自ずと物事を巧くはこべる者である。色事巧者等はそのような力を生まれながらにもつ者に違いなかろう。

本能と潜在意識の差も考察した。仮に本能を基底とすると意志・思考の具現である行動が継続された結果、うっすら積ったものが潜在意識であろう。それに基づき無意識にアクションを起こすのか?かつてのヒット曲「シルエットロマンス」の歌詞「無意識にイヤリング気付いたらはずしてた」は私の好きなくだりだ。潜在意識は層が厚い人と薄い人が居り、同一人にあっても長い人生の間での濃淡もあろう。いずれにしろ、それが習慣性をも超え本能化し、すぐれた行動から結果を得ていった者が人間社会ではいわゆる勝利者にきっとなってきたのだろう?

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