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エッセイ



重さ~価値



基本的にこの世に存在する物質は大別すると有機体と無機体である。物質には重さがある。対して光や波動には重さがないとされている。人々の重さに関する考え方・価値観は時代により変わってきた。大雑把に言えば大昔は重いものや大きいものがよいものとされてきた。「鼎の軽重を問う」というたとえや「大きいことはいいことだ」なるテーマソングもありそれに代表された。対して現代は軽いものがよいという風潮が強くなってきた。身近な一例では引き出物は私が子供の頃から大人になる時代は大きく重いものが代表格だった。砂糖・油・洗剤等であり更にはシーツ・タオルケット等である。今でも地方(かなりの田舎レベル)ではそんな風潮が生きている。今は小さく気の利くものが好まれ、もらった人が選ぶカタログギフトが主流にさえなる。

とは言へ重い軽いの好悪はものにより、本当に良いものは重いことがある。チョコ、羊羹、蒲鉾などはよい材料をふんだんに使うと凝縮感の点でさもあろう。片や織物は軽くていい感じのものが本当に良いのは体が楽なので当然である。また、素材そのものが経済的価値である代表に金地金がある。純度が99.9%なら世界的に価値は同じである(為替のマジックは有るが)。鉄などの基本的素材も同様で産地を限定した「川砂」などもだ。

なぜ現代社会で小さく軽いものをよしとする風潮が強くなってきたかは、背景に技術革新がある。従来一定の大きさ重さでしか作れなかったものが素材そのものの高品質化で小さく軽く強く作れるようになった。その点で電化製品は枚挙にいとまがない。テレビは薄型軽量に成功した分画面は大きくなった。日常用品では鞄を例にとると極端には弁慶の背負っている笈は木のフレームであり、あれを背負って旅していたとは、さぞかし肩はゴリゴリと想像する。竹を編む技術が発達し、つづらなどを幾分軽く作れるようになり助かったであろう。西洋でも最初はそんな感じだったろうが革製品の技術が発達し、鞄は革が主流になり今に至る。有名ブランドの起源は馬具屋が多々ある。さて現代、鞄は重いものは概して嫌われる。特に年配者はパラシュート生地のような強化ナイロン系素材のものに人気がある。だが、そうは言っても重くても革のもつ高級感は否めなく、一流ブランド製品の主流はやはり革製品というのは人間のエゴのようなものである。

ものが良くて少なめで軽めというのは料理にも求められている。味にも重い軽いがあり、重いものは胃にこたえる。良い油・だしを使えば総じて軽めで洗練された感じになる。現在の高齢化と女性主流時代にはなおの事求められるだろう。

一方物質ではなく人の行動・発言にも重さ軽さを言うがこれがまた厄介だ。地位のある人は寸言にも「軽々しい」と揚げ足をとられやすい。かといって慎重、重きに過ぎるとよく思われないことも多々である。行動はさらにしかりだが、適宜な軽さが時代にはマッチしているのであろう。また、人から言われるズシリと重い良い言葉(忠告も含め)は噛みしめ今後に活かすべきである。逆に重い嫌な言葉にどう対処するかは事例によって様々であろう。付け足しではあるが居るだけで重苦しい雰囲気を醸し出す人を「空気が重たい」と言い、更にはその場の流れに合わせられない人を今風に「空気読めない=KY」というがそうはなりたくないものだ。
「芸能・美術作品」においては尚その軽さ重さがとかくうるさく言われる。ひも解いてゆくと私のレベルでは追いつかないが、概して軽々しいという意味ではない「軽み」が珍重される。ただ「重厚な芸風」もやはり評価が高い。その判別は難しいが要点としては「鈍重」なものは嫌われる。

縷々書いてきたがここでは仮なる結論として、ものには物理的な軽重と感覚的それがある。また価値とは「好悪」の換価であろうが、その好悪も「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」であるとのレベルに本稿ではとどめておこう。

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