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エッセイ



「大道楽者、小道楽者」



以前「道楽」そのものについて起稿した。ここでもう一度「道楽」の辞書による定義の一例は「仏道修行によって得た悟りの楽しみ」とあり、根本は仏教用語のようだ。その前稿では日常行為はなんだかんだちょっとした道楽で成り立っているのではと書いた。
今回は「道楽」そのものではなく「道楽者」について考えたいが、ここでは仮に「大道楽者」と「小道楽者」に分別し考察する。
ダイナミックな「大道楽者」の歴史的な代表はドイツ・バイエルン国王のルートヴィッヒ二世(狂王)を挙げたい。王は作曲家ワーグナーに心酔しノイシュヴァンシュタイン城(以下N城)、リンダーホフ城(以下Ⅼ城)、ヘレンキームゼー城(以下H城)の三つの大きな城(館)を築造した。もちろん彼は生まれつきの王であるので自分で稼ぐことはない。N城はワーグナーのオペラ(楽劇ともいう)「ローエングリン」の白鳥の城をイメージし、広間の壁画にはそのローエングリンやタンホイザーのハイライトシーンを描かせている。L城の特筆は、タンホイザーのビーナス谷にある洞窟を現出させ、その照明設備はあの時代の最先端・最高水準技術をとりいれたことだ。また庭には「ワルキューレ」のシーンを再現した小屋もある。感心するのは王自体が卓越した総合アートプロデユーサーの才能が絶対にあった点だ。だいたい十五歳の時そのローエングリンを観て感動のあまり放心、しばらく立てなくなった人であるから芸術美術にえらく鋭敏なのである。ちなみにH城はベルサイユ的なものだが、湖の島にあるというのがやはり一興である。またあまつさえ、ワーグナーの楽劇専用のバイロイト祝祭劇場も建設し、それらの建設費などで国庫破綻の懸念が生じた。よって重臣たちにより幽閉され、最後は湖畔で不可解な死を遂げるのである。ただ王の場合はその遺したものが今となっては大いなる観光資源となり莫大な観光収入の源になつているとは皮肉なものである。
一方前者のようにダイナミックなものでなく、そこら辺によくいる者を「小道楽者」と私は称し、まずある程度の経済力がある二種類にわけてみると。
A氏:もともと財力がありそれをたのみに放蕩を尽くし零落するか、意外と収益事業もうまくやれていて零落はしない。
B氏:財力は小金を回せる程度(まずまず高収入)だが、小道楽を繰り返し最後は破綻しない迄もいわゆるトーンダウン的零落状態で老年期を迎える。
今回は紙面の関係もあり読者の身近にままいるという前提でB氏の顛末を特に考察する。
B氏は趣味人、人によっては交際家であり、いわゆる「のむ・うつ・かう」は全くやらないわけではないが、ただ目の前の遊興を求めるばかりではないことを前提とする。趣味をこなすにはお金はさることながら時間と情熱を要する。一般的に時間の確保捻出は相当に個人差がある。週休二日制の人は時間の確保という点では有利だが、それでも足りず補うには睡眠時間を削ることもある。会社経営・自由業の人で多少時間の融通がきく場合はたちの悪いことになりかねない。またここで、小道楽者の範囲に地元名士的および業界活動的な役職に血道をあげている人をも是非含めたい。
そのたちの悪い状態に陥らない要諦は「一定線での見境がきく・きかない」であろう。「見境がきかない」場合は勤め人では窓際レベル、自由業系では零落必定であろう。そこまでではなくとも趣味に労力をとられ体調不全に陥る人もいる。そうなれば、他人からは好きなことやってきたのだからいいでしょうと言う認定になる。本人は意外と能天気で苦にしないこともあろうが、離婚などにつながると事は深刻である。
尤も見境がきけば他人から「人生楽しんでますね」とうらやましがられるから、楽しみ得なのであろうが・・
(人間不可解ないきもの・三十六)