人間 ― 不可解な生きもの

明治維新百五十年(その二)

徳川政権約二百六十年は太平の世と見えるが、外部情報が乏しい中、知識・学問の揺籃期としての意義は十分であり、ポテンシャルの高さは実におそるべしである。私は今回執筆にあたり、司馬遼太郎「最後の将軍(徳川慶喜)」をあえてゆっくり再読した。(NHK大河ドラマの原作になった)この本のみでも下知識がそれなりにあればその十五年の流れ・事象があらためて良くわかる。蓋し名著の感をもった。家にあるがずっと読めない小説が舟橋聖一の「花の生涯」である。

これも初期の大河ドラマの原作になった。主人公である「安政の大獄」の主導者大老井伊直弼はなかなかに不思議な人物である。なにせ彦根の殿様になれる順位は家内でも第三補欠くらいで三十台半ばまで専ら茶の湯・石州流をして(その著述の中に一期一会がある)過ごし、又抜刀術もかなりの水準に達していた。私の既読は津本陽の「おおとりは空に」で裏千家十一代玄々斎宗室の半生とのオムニバス形式のものだ。

よって政治経験は殆どなくそれが大老という総理大臣のような立場に躍り上がり、一年半の超短期間にズバズバ粛清恐怖政治を敢行した。当然反動は大きく、桜田門外の変にて横死してしまうのはある種当然とも言えよう。しかし結果は歴史には大きくその名を残した。その「最後の将軍」十五代徳川慶喜はとてつもなく頭がよく、諸事器用で(文武、趣味事にも)、さらには気質もさることながら水戸烈公徳川斉昭のDNAが強くでて、とてつもない精力家でもある(もうけた子息らは二十数名ほどという)。小説は単冊の中編なのでご興味あれば是非読まれることを薦める。

また、続けて司馬の「酔って候」という土佐藩主山内容堂を描いた短編もあらためて読んだ。この人も殿になるには第三補欠のような身分であり、基底は歴史主義者である故に、乱世の奸雄気分を時代にのって満喫した人である。さらに併載の「肥前の妖怪」の鍋島閑叟は、この佐賀藩主主導で独自に大砲製造用の溶鉱炉である反射炉の築造、更に近代武器の自家製造に着手・成功し、戊辰戦争の官軍側の戦闘力の決定打につなげる。乱世はとかく身分の低い者より人材がでるものだが、徳川慶喜を含め大名そのものにも「異能・異形の人」が出たのはこの時期の一つの特徴である。更には公家よりは、私は「公家界のモンスター」と呼んでいる岩倉具視(今回大河ドラマ西郷どんではヤモリとよばれている)のような人物が出たことも言っておきたい。岩倉は下級公家であるが、自身孝明天皇の近習となり、妹が側室の一人になったことが権力の中心に近づけたポイントとなった。

いつの時代も正史の表舞台には記述されないが背後で女性の存在(発言・血脈)が世の中を左右している。十四代将軍に紀州の家茂が慶喜に先んじたのは十三代将軍家定の生母及び大奥が強い意向を示したらしい。それは慶喜の父水戸烈公斉昭に対し強いアレルギーがあった(簡単にいうと強姦癖もち)ことが強い。

この時代を下克上の世とは言わないが、下級層より人材が噴出した。薩摩では下級武士層である西郷・大久保、長州の吉田松陰も学問の家のせいぜい中士、その思想は明治政府の大陸進出政策の遂行に大きく影響した。大村益次郎(近代軍隊整備の先駆者)は村医者、伊藤博文・山県有朋は侍とはいえないような身分、土佐の郷士の坂本龍馬にいたっては脱藩浪人で、旧主である山内容堂は彼の存在すら知らなかったとも?その様な身分の人々が世の中を動かしてしまったのだから本当に驚愕に値する。じつに日本は民間レベルに潜在的に教育水準の高い人々がおり、その人々が「草莽崛起・そうもうくつき」し躍り出たことは世界でも特筆に値するだろう。

幕府倒壊までの十五年間に関して膨大な論述が遺されたと冒頭に述べたが、それを本稿のような僅少な紙面でふれるのはあまりにも乱暴であるが、一つの総括を敢えて述べると、政権交代時に必ず出た次期天下人は不在であり、世界史的にも流血が最小限に近かったことは各位異論のないところではなかろうか?