人間 ― 不可解な生きもの

世をあげて「相続」というが・・(その一)

近年世をあげて「相続・相続」とかまびすしい。もちろんはやし立てているのは、建築・不動産といった業者に加え銀行関係・税理士やファイナシャルプランナーなどの士業連中である。特に基礎控除が下がった平成27年ころより著しくなった。要は該当する家庭が増えたからである。前だったら引っかからなかったのに、すれすれかかる層をも掘り起こす魂胆である。また後述もする相続時精算課税や暦年贈与制度の拡充、更には家族信託といった高度な制度の成立も要因にある。

私は本業が不動産屋なので必然的にその喧噪の中に身をおいている。かつ自分自身も該当するが、節税対策となると紺屋の白袴的で意外とすっきりするものはない。要は一発解決策はなくコツコツと段階的にやっていくしかない。

相続税の対象となる故人が多いのは金満社会の産物だ。金満社会とは人類の努力の集積、科学技術等の発達を基盤にいわゆる信用創造なる手法で累積されていったものだが、それが全世界的になっている。自身の課税財産に対し節税策を弄し、国家権力による収税権での召し上げからの被害を減じたいのは無理からぬ。そこで前述の連中が「相続対策」をたきつける。

しかし現代は超高齢化社会が極まり、政府としては取るのに躍起なだけでなくいろいろ有効な法制度を考えてくれている。あからさまにいえば、お金の取れる財産をボケているか体の利かなくなった老人よりもっと動ける子供らにうまく裁量させる「家族信託、民事信託」等の制度ができてきた。興味のある方はざっと調べられたい。特に家族信託では子供に利用権を預けて更にその人がダメになるのを想定して次なる選手としてその妻子や孫にリレー的にエントリーしておける制度である。なんせ百歳近くまで生きる人が続出しており、子の方が先に参ってしまう事態もある。ついでだが「信託」という手法の起源はあの十字軍遠征で留守が長い間に土地などを信用のおける機関=寺院・上位領主等に預託し、今でいう公証人や大法官という更なる第三者をつけたところが発祥の一つと聞く。

日本に限った事ではなさそうだが、往時の社会は本来家督相続が主流であり、一般家庭でも先の大戦前はそうであり、跡目指定をうけた者が原則すべてを引き継ぎ、他の子息は幾分かのおっそ分け程度であった。そして家督を引き継いだものは世間との付合いも含めすべての責任を負うわけである。ある意味富は分散すると力が弱くなるという経済原理を守ったものと言えよう。

更に私は土地は一体なぜ故個人が所有できているのかを、いまさらながら考えてみた。実は不動産屋のくせに全然わかっていないことに気づいた。例えば江戸時代は殿様=藩と幕府(天領~お代官様が管理)、はたまた寺社や規模は小さくなったろうが公家が土地を全面的に独占しているのかなと漠然と思っていた。しかしどうやら、一定の百姓や商人なども結構土地は持っていたのだ。その土地所有概念の起源は古くは日本史の教科書にでてくる三世一身の法~永世墾田私財法が挙げられるだろう。

そこから朝廷の収税率の割合の絡みで貴族に預託すれば分がよくなる意味が絡んで荘園が発達してくる。その荘園の管理人=ガードマンが武士層を形成、土地をも私有してゆくことになる。又武士を含む地方豪族の私有に個人が混じってきたはずだ。もちろん何らかの経済的・労務的交換を伴って取得するに加え、武力で収奪するといったことが室町・桃山(いわゆる戦国)時代を通じ長く続く。やや時代が飛ぶが安定社会で様々な制度が確立した江戸時代には新田開発が盛んで一定の土地を才覚のある者が得てゆくのはむしろ必然で、二宮尊徳などが代表選手であろう。また酒田の本間家のような豪商も必然的に土地を私有していたことだろう。これらを紐解いている学者連にはかなりの研究成果があろうし、私はもっと知りたい欲求の入口に立っている。