人間 ― 不可解な生きもの
瞬間娯楽?
人は起きている間いろいろな動作をする。普通メインは仕事や学業、家事、スポーツなどである。それら主行為を継続している間に細切れ的にいろいろな動作をしているに違いない。
人は基本的に快楽をもとめる。快楽は娯楽と類似だが表題の瞬間娯楽とは趣味や道楽までもゆかないささやかな楽しみ・息抜きという程度のことで私の造語(既にあるか?)である。
そのささやかな楽しみを見つけ、習慣的に合間にちょっとした動作をやる回数・時間はトータルするとそこそこのものになるのではないか?自分にあてはめると特にその傾向が強いのではと(反省交じりに)思う。極端なことをいうと耳かきをする楊枝を使うというのもそんな要素をもっている。ある本によると仕事中のコーヒーブレイクというのはコーヒーを飲むことより自分で立って行ってコーヒーをカップに淹れる行為が主眼なのだとあった。なるほどそうかもしれない。
淹れる、飲むというのが一連の行動ではあるが私のいう瞬間娯楽の範疇にはいるであろう。
卑近な話だが私はよく「男ってバカだから」と広言している(妻にもよく云う)。路上のすれ違いざまや、店屋の買い物で接触した女の人で「ちょっといい女だな」と感じるのも瞬間娯楽であろう。ついでに云うと男性のほうが女性より視覚から得る楽しみが強いようだ。週刊誌などにヌードグラビアが多いのはその証左といえる。見るだけで満足してしまうところが男にはある(それらを称してバカという)。
その週刊誌をなんとなく買って電車で見るのも一種の瞬間娯楽であろう。
また、男女に限らずちょっと小銭を使うのもその範疇にはいるだろう。先ほどの週刊誌しかり、コンビニに行ってシユークリームなどをついでに買ってしまうのもだ。それらで小銭を使えば内需拡大にもなるのだから悪いことではないだろう。それはさておき、生活に瞬間娯楽の要素がないと極度に疲労すると予想される。よって疲労緩和・緊張持続の潤滑油という効用がみとめられる。
私はこうも言う「頭の中で考えるのは勝手だから!」。
考えることは娯楽だしタダだ。例えば人の顔を見て誰か(芸能人とか)に似ているなと思って心の中でニヤニヤしていることや、木や石の膚が人の顔のように見えるなどを考えるのはささいな頭の中の瞬間娯楽である。一方考えたことを投げつけるダジャレ(世におやじギャグともいわれる)などは瞬間娯楽の代表例だが、これは鮮度とスピードが命なので躊躇するとスパッとゆかなくなる。要は空気が読めればよいのである。
飛躍するが発想には奇想天外なことや、さもありなん的だが他人からすると突飛なことも多い。そんなことを小説にして読みつがれている宮澤賢治やカフカなどは幸せな部類だろう。パスカルやニーチェだとて、所詮考えるのが好きだっただけなのでは?それが系統だっていて微妙に辻褄があっているので歴史に名を残したのだろう。
一般人の日常では頭に収めておけばよいものをつい口をついて出た一言が顰蹙をかうこともあるが、人によっては巧妙且つちょっと品性のあるものはウイットともよばれる。口にだすと物議をかもすことがままあり、注意は必要だがその人の味を感じさせることも多々なのであまり臆すると面白みのない人生になるだろう。いずれにしろ考えたことを口に出すという楽しみを享受できるのは人間の特権といえる。
所詮、一般人の人生などというのは冒頭にあげた本当に必要な仕事や家事・学業以外は他愛もないものの積み重ねで形成されているのであろう。