人間 ― 不可解な生きもの

世をあげて「相続」というが・・(その二)

スポンと話が飛ぶが、先の敗戦でGHQ主導による農地改革により大地主が痛手を被った。逆にそのおかげで近郊農家が今となっては資産家となった。また入植開拓農家・漁業埋め立て補償者も同様に資産家となりこの相続対策のターゲットになっている。尤も賢明というか利に聡い家系はかなり永年にわたり、いろいろなことをやってきているので、今更さほど変わるものはないと思っているだろう。

ここからが、話の二段目で相続の分け前紛争の話となる。土地持ちに限ったことではないが、だれがどれくらい取るかはその家庭によってさまざまである。当然こじれると裁判所に持ち込まれることになる。それも含めて相続コンサルタントを標榜する者どもの出番である。これの根源は近代国家が各個人の権利を完全に守りすぎた副産物である各子供における均分相続権である。まだ多少は前述家督相続の名残も心象的には無くはないので、親と同居した者は墓をも引き継ぐのが普通なので、自宅を含め、多めにとることは他の兄弟姉妹も承服はする。

しかし強欲に「そんなの関係ない、平等に山分けしたい」と主張する者も現実居る。それに加え近時更に最高裁判所判決で、非嫡出子も嫡出子と均分であるとのお墨付きがついてしまった。これに関しては平等社会ここに極まれりの感だ! 私見だが平等社会の行きすぎは昨今よく言う「ポピュリズム・大衆迎合」が顕著な傾向に陥り、更には蒙昧な社会になりかねない。

実は沢山財産がある家系は選択肢が多いので、途中前記の者どもが介入することはあるものの何とか収まりがつく。逆に僅少な財産をめぐっての方が裁判所に持ち込まれるのが悲しい現実らしい。

配偶者(妻・夫)の身分は相続となると絶大である。なにせ配偶者のみが全財産を相続する分には相続税が0なのである!しかも婚姻期間の長短は問わないのだ。 また相続対策において養子という制度を使う手がある。この養子については意外と一般の人はその効果や財産上の扱いがわかっていないようだ。こと基礎控除上の水増しは二人分(実子がいない場合)しか有効でないが、他人の子供でも自分より若干でも若ければ養子にでき、その養子になった者は自分の本当の親からの相続権は失わないのだ!また本妻が亡くなり、何らかの事情で妻にしづらいとなれば、その愛人を養子にしてしまえば、財産分与の権利を即座に発生させられる。その愛人が複数であればそれらを皆養子にでき即財産分与の俎上に乗せられる。

しかし、自分よりちょっとでも年長者は養子にすることはできない。逆を言えば自分が養子になることはできる(養親にも相続権はある)。つまるところ一定範囲内の親族でないと相続権自体と減免の恩典はないので無理やりになってしまうということだ。

紙面の都合上結びとするが、起稿にあたり相続の根源をいろいろ考えた。近時財産上の事に終始しているとも述べてきたが、文字通りには家系にあるものを繋げてゆくのが「真のすがた」と思う。それはその家系のノウハウ(商売・ものつくり・芸道等)さらには人脈を基盤に、付き合い事を含む世の中と関わりあいをもうまく継承することであろう。その意味では技術知識の伝授を一子相伝するというのは究極の相続なのであろう。また更にきれい事を云うが故人からの思いや想い出は親族各個人の脳内にあるわけだから何人も侵せざる真の相続の対象となるのであろう。