支持される理由

土谷不動産は
市川市内最古クラス(三指にはいる)の
不動産会社です

当社は昭和32年(1957年)不動産業の創成期にうぶ声をあげました。そしてその創業は現代表・土谷幸司の母・はな子で、実にキャリアウーマンのはしりでした。
そしてその後まだ新婚であった夫の喜一郎が脱サラで合流し、本八幡・市川駅近辺の分譲事業に取り組み併せて賃貸アパート・貸家の斡旋をさかんに行い人口流入期の市川市の発展の一助を担えたと自負しております。
また、昭和41年には有限会社にて法人化し土谷喜一郎が代表取締役となりました。
ちなみに、その頃昭和42年、当社斜め向かい建物にあのサイゼリヤを正垣泰彦氏が1号店を始めたのです。そのサイゼリヤの創業店舗は現在、記念館として保存されており、縁ある当社はその入口のシャッターの鍵を預かっております。
創業より60有余年の間には高度経済成長、オイルショック、バブル勃発~崩壊(では瀕死の重傷をマンショック等など山坂有りましたが、おかげさまでしぶとく生き残ることができました。

現代表・土谷幸司の活動の歩み

現代表・土谷幸司は地元では定評のある八幡小学校~私立市川学園中・高校に学び大学は初めての電車通学で池袋の立教大学へとすすみました。新卒時三菱地所系の不動産会社に就職、地方転勤も経験しバブル崩壊の煙がもうもうとしている平成4年当社に入社し、瀕死の経営の再建に死力をつくし破綻処理を受けず健全化の端緒に着かせました。そういった中、若手経営者中心の市川青年会議所(いわゆるJC)から商工会議所青年部(46歳まで)を経て市川商工会議所会議所一号議員を一貫して継続し、また市川浦安立教会の事務局長を発足より約20年間つとめました。
また本業の不動産の協会組織である(一社)千葉県宅地建物取引業界市川支部の幹事を30才台よりつとめ、現在は副支部長の要職あります。またそれらに関連し市川市防犯協会の常任理事や市川市空き家対策審議委員にも任命されております。

また会社本社屋のある八幡一番街商店会長(故喜一郎もつとめた)を現在もつとめ、例年10月に「いちフェス」という「一日限りの商業モール」を立ち上げ、また月例役員会を必ず行う組織運営などが行政より評価され、土谷幸司は全商店会長より唯一「市川経済観光部が運営する*市川市観光振興ビジョン・オールいちかわ」の委員に選任されております。

文化的メセナ活動

代表者は上記公職活動のみならず、メセナ活動として芸術家(特に音楽・声楽家)の支援を行っています。特に一流音大卒の若き演奏家の支援(防音室付き住戸の供給、援助金の支給)はその成長への一助をになえていると自負しております。また代表自身もアマチュア声楽家としても活動しております。また、茶道表千家の講師資格を家元より授与されております。更に、日本将棋連盟正規有段者(四段)であり、このほど千駄ヶ谷将棋会館の移転事業への寄付も行いました(新会館に社名が掲示予定)。

社会貢献寄付活動

その他利益の社会還元は社会貢献との思想のもと、「日本赤十字社」に20年余にわたり寄付活動を続け、2022年には一時金300万円を寄付し厚生労働大臣感謝状表彰をうけました。
また神仏を敬う「やまとごころ」をもち続け、神社仏閣にも寄付を続け地元では「行徳の名刹徳願寺の山門等解体大修理」「葛飾八幡宮」「菅野白幡天神社」に、全国有名どころでは「伊勢神宮」「宇佐神宮」「諏訪大社」「出羽三山羽黒神社」「大阪府葛井寺・ふじいでら」など、そして集大成的には「奈良春日大社」二の鳥居付近に参道石燈籠を寄進できたことはたいへん名誉なことと自負いたします。

生きものにやさしい会社です

また当社は「生き物にやさしい」ことにも自信があります。敬遠されがちなペットホルダーへの賃貸住戸斡旋にも力をいれています。
また、地元の保護猫活動団体や「ピースわんこジャパン・殺処分0活動」への支援をもおこなっております。