人間 ― 不可解な生きもの
ポーランド訪問記・アウシュビッツへ②
ユダヤ人虐殺(ホロコースト)に話をむける。ユダヤ人はこのポーランドとハンガリー国内に大量に居住していた。ハンガリーより約43万人、ポーランドより約30万人が、その他の国々を含めると約百十万人のユダヤ人の多くがこのアウシュビィッツに「強制移住」という名目にて騙され家畜用の列車に詰め込まれ(立ちっぱなし、トイレはバケツが端に)、最も早い人々は列車を降りてから服を脱ぐことを命じられガス室に立錐の余地なくすし詰めされ20分で絶命した。
なにせ死人の服をはぐのは一手間で、更にほとんどの服には貴金属や現金が縫い付けてありそれも奪える。そして隣の焼却炉で即焼かれた。展示室にはその遺留品がうず高く積まれている。最も目をおおいたくなるのは刈りとられ、経年で白っぽくなった髪の毛で、それはカツラの材料、カーペットや軍服等の芯地の増量材等に使われたのだ!なにせ強制移住という「嘘」で連れ出された人々は新地での生活用の家財道具を持っていた。なべ釜の類や、私の印象に残るのは大量の靴及びブラシである(当時は舗装道が少なく外から戻った時に泥をよけるブラシが必需品)。また、大量の義足義手のコーナーは、二つの大戦の負傷者が多く混じっていたことと推測され印象に残る。
だが、即ガス室に送り込まれた人々はまだ良かったのかも?というのは日に数十名が息を絶つ周辺施設の建設等の強制労働は当然、何らかの名目での拷問、半ば放置に近い拘留では皮膚病の蔓延、飢餓による衰弱等々業火にあぶられる苦しみを味わい挙句絶命したのだから。宿舎もレンガ作りの他、約2㎞離れた第二収容所(ビルケナウ収容所)は木造の隙間風がはいる家畜小屋のようなものが主だ。その中の三段ベッドに肩足がふれる位詰め込まれ、便所は中央通路にただ丸い穴のみで人間の体臭の異臭と糞尿のいり混じった匂いで頭がおかしくなるようで、そこには人間の尊厳のかけらもなかったろう!
私がこのアウシュヴッツ強制収容所の見学で一番強く思ったのは「これらに比べればこの日本の身の回りで起こっていることなど、どうってことない」という一点だ。現在の日本は世界の中でも特にきめ細かい生活をしておりそれに慣れてしまっている。実際にゆくと他の国は大雑把だと思う。逆にはこのきめ細かさや表現方法(言語体系も)がスピード感を弱め日本の弱点になっているのかと感じる。
話を明るい方にもってゆこう。私らが訪問した第二の都市古都クラクフでは今回旅行の大きな目的であるレオナルド・ダヴィンチの単独婦人像三点の内の一つ「白貂を抱く貴婦人」を見ることが叶った。叶ったというのはこの画が収蔵されているチャルトリスキ美術館は現在大改修中につき王宮内の特別展示にて予約拝観が可能との情報を得、旅行会社になんとか見られるように陳情の結果他の参加者にはサプライズ扱で拝観が叶った。同画はダヴィンチ30才台の作品で色調は明るいが、モナリザに比肩する傑作だ。
またクラクフの南東約25㎞、世界最大級のヴィエリチカ岩塩採掘場(世界遺産)に赴く。内部は岩塩の壁に彫刻を施した大広間や礼拝堂などが多数あり(シャンデリアも岩塩製)それは見事なものであった。この岩塩は灰色のダイヤと呼ばれ国家に莫大な富をもたらした。又ポーランド料理に強い特徴はなく総じてまあまあという感じだ。帰国前夜の夕食はクラクフ中央市場広場に面す1300年代王宮の仕出しを起源とする大変な老舗にてとった。
最後にこのツアー全八日間の行程に随行のポーランド人ガイド通称エラさん(30才台前半・身長160センチ位)はワルシャワ大学日本語科在学時、縁あって九州大学に1年半留学の経験を持つ色白の才媛であった。今回のわずかな滞在期間に、彼女などからも覗えるのは、ポーランド人はまじめで粘り強い印象、地味ではあるがきっと底力のある国・不屈なる民族なのだろうと強く感じた。 以上