人間 ― 不可解な生きもの
人はなぜ絵を描いてきたのか?
人はなぜ絵を描いてきたのか?漠たる問いかけで的を得られるかは定かではない。原初ではすぐ思いうかぶのはスペイン「アルタミラ洞窟」、フランス「ラスコー洞窟」の野牛・猪・馬・鹿等の絵である。これらはだいたい紀元前一万八千年~一万四千年位のクロマニヨン人による。特筆すべきは人類がこの時代に当然洞窟内なので火を灯りとして使い、絵を描くのに線刻ではなく「顔料」を使うという高度な技法・文化を持ったことであろう。
画題の野牛等は狩猟の対象物としてなのか、人と違った力を持つ生き物への畏れの象徴なのか、はたまた呪術的なにかを表すためなのかは研究者の想像をかきたてるが、私は身の回りにいる生き物=狩猟の対象=うまく狩りをしたいという「願望の表れ」と考えてみた。
ことをヨーロッパ圏内に絞り、紀元前後迄遡ってみる。例えば「ポンペイ」遺跡の発掘で残っている室内画の画題は食物類等の静物と特筆すべきは「男女の性交」が多いということだ。ポンペイはワイン等の産地・集積地であり、約二万人の人口を擁す中継貿易地で繁栄したのであるから自ずと売春宿が多い。人間(特に男)は単純なもので、やはり目でそういったものを見ると欲望が増進されるので、その「性交の画」は今でいう販売促進(性交渉を業とすると)のツゥールという考え方ができる。いずれにしろこの当時迄(紀元後間もないころ)、絵は身の回りを表現・装飾する一手段に過ぎなかったのだろう。
ヨーロッパ社会ではキリスト教の本格的発達・確立につれ中世以降は宗教画の比重が圧倒的である。例えば「イコン」は本来見えない神をキリスト(全き人としてこの世に存在した)や聖処女マリアに仮託して表現していった。これを「偶像崇拝」とするのかは幾多の軋轢があったようだが、ここではそれが必要だったから「イコン」という「物」を作り結果多数存在していると考えよう。
さて、チマブーエ・ジオットなど名前の確認可能な巨匠画家が出現する頃には逆に(芸術的な)絵イコール宗教画となってゆく。十五世紀後半に出現したデューラーらの自画像は当面主流とはなりえていないが、自我の確立・主張という点で大いなる意味がある。その後ブリューゲル一派に代表される風俗画、オランダに多い風景画と画題は総花的になってゆく。これは市民生活の自由度が増すにつれ描きたい画題を選択できる悦びの一種の表れと私は解釈する。またカナレットに代表される都市の記録者としての画家の存在は必然である。更にはボスの「快楽の園」に代表される原初シュールレアリスムの絵があだ花のように出現する。狂わしい幻想上の、地獄絵のような世界を数多く描いていった同者は特筆すべき表現者であろう。
そういった年月が長く続き、巧い画家がいっぱい現れた。具象における表現はリアルさ精妙さともに頂点を極めた。そうなるとある意味飽きを感じるのが人の常だ。よって抽象画の出現はいわば必然といえよう。具象絵画はそこにあるものを絵という媒体にて伝えるのが一つの根源機能であろうが、片や抽象画の表現に実体性があるのか否かは私の見識にては言い切れない。しかし「こう考えた」ので「こう描いてみた」というのは否定の余地はなかろう。要は描いてみたいから描いてみたということであり、あえて讃美すると精神が「拘束の檻」から自ら這い出たといえる。前述中~近世、絵を描いてきた人は原則プロ(職人やどこかに従属してはいた)であったろうが、現代社会ではプロ(作家といわれ作品がお金で売れる人々なのか?)とアマの境目が分明なきものになってきたし、一般大衆が娯楽レベルで広く絵を描くことに参入しているのは良い事であろうが、ある意味では野放図な時代と言えなくもない。逆に抽象画で秀逸といわれるものを描く人が本当のプロなのかなと思ったりもする・・