人間 ― 不可解な生きもの

ノアの箱舟の留まった場所って?

「ノアの箱舟ってどこで留まったか知っています?」ときかれたら、キリスト教に縁のある人や物知りの人は「アララット山ですよね」と答えるが、「そりゃ想像上でしょう」と「実際そういう名前の山はあるみたい」とに分かれるだろう。現実にアララット山はあり、なんと標高5000m超でアルメニアという国とトルコの国境付近である。私の知人の定期購読雑誌の副編集長が取材で以前アルメニアに行き写真と訪問の記事を載せた。地理的には黒海とカスピ海の間で、エデンの園はアララット山の麓付近の説もあり起源はおそろしく古いエリアで、旧約聖書のふるさとの一つである。また世界のかなりの富豪のルーツであり、意外とダイヤモンドの集積地なこともありユダヤ人が一目置く民族であるという。

近時これがきっかけでキリスト教に少々興味を持った。私はクリスチャンではないが幼稚園と大学がミッション系(両方とも聖公会系)であるが一般常識といえるかどうかの知識しかない。従って、手元の本や新たに買った本を発起して読んでみた。いわずもがな聖書は旧約と新約があり、新約は原則キリストの誕生からはじまるが、実は生育時の記述がほぼ無く大人になったキリストが活動を開始した時以降に終始する。

私も含め一般人はそういわれればそうかもねと思う。また一般の人はユダがなぜキリストを裏切ったのかには興味を持つだろう。代表説は一般常識的な金で売ったということだ。最後の晩餐の絵では端の方で金袋をにぎっている姿でユダは描かれる。

あと二つ代表的な説があるという。一つは過ぎ越しの祭りの夜に羊を屠りに司祭のところに持ってゆく役目をユダがたまたまやり、帰り道を当時の為政者側であったローマ兵が尾行しキリストらの潜伏場所に踏み込み、捕らえられたまでで、ユダは何の罪もないという説がある。それが本当なら最高レベルの悪者にされて歴史上世界で一番不幸な人の代表になろう。

もう一説はローマ人による抑圧に対し立ち上がるリーダーにキリストがなってほしい期待をユダがかけたのにそれはしないと宣言された結果失望しローマ側に密告した説があり、私が既に持っていた写真家白川義員氏の写真と文章「聖書のふるさと」にて著者は再三現地に赴いたイメージによるとこれを採りたいとされている。だいたいユダは会計係で、金を任せるのは当然信用している人間のはずと言われればなるほどと思う。

とにかくキリストは捕られ、磔になる。その十字架上の姿や降ろされてゆく瞬間はあまたの名画を生んだ。またその後の復活・昇天もしかりだ。生きて活動している時には病気を癒し、嵐を鎮め・食材を出現させるなどのミラクルをくり出し人心を掌握していったが、その死は意外とあっさりおとずれたのが、近親の者たちの悲しみ=驚きであった。

また新約の有名な下りのサロメは、オスカーワイルドの戯曲にて有名だが、それを下敷きのR.シュトラウスの傑作オペラ「サロメ」ではあの悪名高きヘロデ王の娘サロメが愛しい男預言者ヨハナーン(若きキリストに洗礼を施した)の首を銀の皿に載せて踊る官能的な「七つのヴェールの踊り」が生まれた。

話を旧約に転ずるとバベルの塔の逸話は人々が不遜にも天に届く塔を築きだした頃の言語は一つだったが、神がそれだと人々はロクなことをしないのを憂い言語を沢山異にして混乱させ、悪行をしにくくさせたとある。悪徳の町「ソドムとゴモラ」の最期は硫黄のようなものが空から降り人々は死滅したというのが代表説だ。さらには、ヨシュア記にも天来物質の記述がありそれらは原油の元となる瀝青らしきべたべたしたものだったのではないかとも。それは原油の一部は宇宙天来物質仮説との関連性がありそうだ。

なぜソドムとゴモラが悪徳の町なのかはよくよく考えてみる価値があり、実は現代社会の縮図ではないか?そもそも旧約の創世記は地球自体の生成起源の暗示である。古事記の「天の沼矛(ぬぼこ」による国づくりも同様であろう。当時は地質学などあるわけがなく、錬金術のレベルもない。私の考えるに往時の空気は現代のように不純でないが故、天というか宇宙を通じて交信できる人がかなりいたと想像できる。つまり特に右能が開きやすく、そこにプログラミングされているビッグバーン以降の原初の記憶が発露されたのではないか。稗田阿礼もそういう人であったろう。現代はあらゆる不純がこの世に横溢しており、大きく変わっていないはずの脳構造、特に右脳のプログラミングが開かないだけなのではと強く思っている。