人間 ― 不可解な生きもの
オペラ?声楽?(その1)
世に「オペラ」というジャンルがある。「オペラ」とは通例「歌劇」といわれる。又同類に「楽劇・喜歌劇」がある。世の人々には、声楽家のことをよく「オペラ歌手」と漠然と思い呼んでいる人がどうやら多い。事情がわかっている人は「声楽家」と呼ぶ。その「声楽家」の中に「オペラ歌手」が包含される。そんな風に思われるのは日本にオペラが根付いていない証拠だ。
声楽とはまず大雑把には、教会(宗教)関連声楽曲、シューベルトの「冬の旅」に代表される歌曲集の歌(リートとよばれる)。また合唱専用の曲に仕分けされる。また「荒城の月・浜辺の歌」などの日本の学校で教わる歌は抒情歌、日本歌曲と言われる。そして、「オペラ」とは劇中で歌われる完全な歌(アリア)と語り調の歌(レシタティボ)、時に語りによってほぼ構成される。
とにかく2時間から3時間に及ぶオペラを通しでやるのは大変だ。特に原語で(イタリア語・ドイツ語が殆ど)でやるとなるとイントネーションを含む言葉の習得(記憶)が不可欠で、修練・熟練・慣れのたまものでしかない。よって「私はオペラ歌手です」と当然に言える人は海外・国内のオペラハウス及び正規歌劇団の契約歌手・正規合唱団員位であり、日本ではそう多くない特別なキャリア訓練を受けた人である。さらに加えて「オペラ」はとんだり跳ねたりほどではないが、かなり動きをつけ(時に少々のダンスをし)かつ、表情をつけながら歌うのだが、これがなかなか大変だ。はっきり言ってあまり運動神経に自信のない人は声楽家にはなれても「オペラ歌手」は志向しないかもしれない。こう書くと一般の人は「へぇーそうなの」と思われるだろうが、実際にそうなのである。
しかし、演劇、ミュージカル(踊りはかなり重要)と違うのは歌唱力自体が超圧倒的で確固たるものがあれば演技所作は二の次的で可となってくる。まあ、それ位の人は自ずと舞台に立つと最低限レベルの演技所作は出来るものであるが。
しかし、どうしてもそれに自身がないが歌唱力は自他共に認めるという人もおり、そういう人はいわゆる「歌曲(リート)歌手」としての一流を目指すことであろう。ヨーロッパでは宗教音楽の需要(教会などで)がかなりあるので自活できようが、日本では至難の域であろう。著名なのは市川市出身の鮫島有美子や安田祥子・白井光子などが挙げられる。
かく云う私は、当社ビルに声楽関連のスタジオ・教室など運営のケイ・アーツオフィス音楽事務所(東京藝大大学院修了のカップルが主宰)の格安誘致が成り、そこのグループレッスン会参加を皮切りに、現在迄5年ほど他の教室での個人レッスンを続けている。そしてそれらの教室関連の発表会と催し物での独唱出演などで相当数の発表の場を得、いわゆる素人としては一定のレベルに達したという自負を持てるようにはなった。(その2に続く)