人間 ― 不可解な生きもの

わけあり

「わけあり」という言葉が日常語になって久しい。数年来のはやりのようだが。 この「わけあり」の一般的な定義は「なんらかの理由があって・・」である。「わけあり」がはやりだしたきっかけは「アウトレットモール」や専門サイトでわけあり商品(新品の)を安く売り出したことに始まる。よって前の・・は「安い」というのが入るのが一般的だ。ではそのわけとは何か?例えば①物理的な一群:微細なキズ・プリントのずれ、むら・縫製の曲がり・(食品だと)形の不揃い②時間的なものに起因する一群:型(シーズン)おくれ・返品もの・展示品とかがある。

とにかく人間が「何か理由(わけ)」をつけ「わけあり」にするのである。時にこじつける。なぜこじつけるのかは難しくはない。売りたいからである。現代日本は景気低迷の時代に突入して久しい。かつてのように「謳歌」した時代は二度とこないかもしれない。多分戦争が起きてガラガラポン状態に一度なった後でないと来ないだろう。その謳歌していた時代には「わけ・こじつけ」無くしても、ものは売れた。もの(商品)に感情があるとしたら人間という生き物の勝手さに腹を立てるだろう。大戦以前はヘタな「ひと」より「もの」の方が大事にされることもままあった。

現代社会は「もの」が軽んじられている気味が強いがそれは人間の権利の比重が高まった結果であり考えようでは良い世の中なのだろう。
「わけあり」にしてものを売る傾向が強まった原因に物流技術の進歩(速さ・安全性・保存性等)がある。発送をかけると国内であれば大概次の日か遅くともその次の日には着いているから驚きだ。昔は洋の東西を問わず、例えば北前船等で運べる食料品は基本的には乾物(かんぶつ)であった。現今、乾物という言葉をあまり聞かなくなり、乾物屋はスーパーマーケットの棚の一部に組入れられた。

前述「もの」は人間に勝手にわけをつけられているが人間自体は「わけあり」の集大成のような存在である。こと人については場面・段階に応じてわけが生じているので「わけ無し」人間というのは存在しない。唯一結婚式でよく聞くフレーズ「新郎~さんはご両親の愛情を一手にうけ何不自由なくお育ちになり~学校を優秀な成績でご卒業になり、皆様よくご存知の~会社にて精勤されておられます」という歯の浮くような前提でしか考えられまい。

「わけ」は人間については「事情や問題」或いは「ゆえ」という言葉で表現される。一言で言えばそんなものの集合体が人間といえる。
本人は一向に気にしていないことでも他人が勝手にわけをこじつけている可能性もある(偏見ともいえるが)。それにより知らずに仕分を受け、位置付けがなされているおそれが強い。また、一生を通す本当のわけ、例えば出生の秘密のようなものもあるが、そういうことは本人・家族らにとっては微妙で重要なことだが、関係の深くない他人にとってはなんでもないことかもしれない。一個の物理的な「ヒト」がそこにいるだけだから。 また人は自分自身にもわけをつけ(できない理由:時間ない・金ない・容姿悪い等々)現状にあまんじていることが多い。

飛躍するが、「禅の悟り」を得る境地はもちろん想像だが「わけ」の余地などないからっとした心境を得るようなものかと私は想像してみた。逆にわけのこじつけはあくまで一般人の生活の産物にすぎないのかとも・・