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エッセイ



人生はバイキング料理か



いわずもがなバイキング料理とはでている料理を好き勝手にとって食べる形態で、最近はビュッフェ形式とも言う。北欧(スゥエーデンとか)ではスモーガスボードといい正規料理の形態とのこと。またメニュー表の中より好きなものを注文できる「オーダーバイキング」も最近多く、更に女性に人気の「デザートバイキング」もある。

人々の大部分は一定時間に起き職場に行き、所定の仕事をこなすという点では制約されているが、バイキングで好きなものをとるように、自分の行動は存外選んで行っている。士業など頭脳労働系の人はタイムカードが無い点では自由で、選択の幅は広かろう。しかし同じ成果(結果)を得るにも行う順番・手法はその人が選択している。例えば同じ文章をパソコンでうつにもやり方は様々で各人が選択している。当然早い人は高度なテクニックを駆使している。
バイキング料理を採る行為は大げさだが人生の超縮小版といえる。つまり制限時間の経過は後戻りができないことを意味し、選ぶ料理の取り合わせ・食べる順番による成功不成功はあろう。「ああよかった、満足した」「まづったかな、元がとれないよ」と思うことがある。また「食いだめ=やりだめ」もそうそうきかないという点でも然りか?
選ぶ行為の裏はらには「選ばない」ということがある。ほかに強く「選びたいものがあったので選ばなかった」のか、「選びたくないので選ばなかった」のでは大きな違いで、「選ばざるを得ない」ということもある。学校の選択に例をとると目指した学校に受かる位の水準に達していても運悪く落ち、忸怩たる思いのまま他の学校にゆくなどに例えられる。いずれにしろ人は選択の結果の幸不幸から逃れることはできない。

話を小転すると金持ちは量・質ともに良いバイキング会場にいる。高い料金を支払うことにより時間が短縮できる料理皿がある。一例は飛行機でファーストクラスに乗ると(私はまだないが)目的地までの正味フライト時間はエコノミーと絶対に変わらないが受付のカウンター(形式)が違うので二時間位前には空港にゆくところを少々遅くてもよく、着後はいち早く降りられ、荷物を真っ先に取れるので、結果早く着くのと同じ効果を味わえる。当然機内食も事前予約でメイン料理など選んでおける。また、他の良い料理皿の一例には多様なコンシェルジュサービスの利用がある。その効果は自分の部下(雇用者)でなくともうまく使いこなせれば時間短縮や利便性の向上をはかれる。逆に現代は質の低い方でもすごく選択の途がある。例えば味噌汁付三百円台の牛丼でもツユの多少を指定し、紅ショウガ、唐辛子をかけ、更には追加料金で豚汁にグレードアップする、卵をつける等狭いフィールドの中での満足を人は得ることができる。
だがいくら高級なバイキングでも時間制限はある。その一事から人間は逃れられないかもしれない。かもというのは「お金次第」でよい医療をうければ延命の余地があるからだ。しかしお金はすごく稼いでいても医者(診断)に行く間もなく働き、気がつけば末期癌で手遅れという人もいるのだから現実は皮肉である。

人は過去に得たものは変えられない。得たものとは知識・経験・人脈等、もちろん思い出こそである。病気さえ過去に得たものの結果である。歴史は民族・人類の得てきたものの累積である。得てきたものとは作ってきたものの近似であろう。大自然(現象含め)の営みの結果が今の地球つまり地下資源や人類も含めた生物群であるが、人間以外の生物は進化の結果である現状の個体(DNA構造)以外は累積させる術を持っていない。そういう意味で人間はあらゆる生きものの中で際立って特別(特殊)な存在と言わざるをえない。