ホームLinkIconエッセイLinkIcon エッセイ 2013年12月号

エッセイ



ポーランド訪問記・アウシュビッツへ (1)


平成二四年五月ポーランドにツアー参加ではあるが夫婦で旅した。
到着翌日、現地通貨ズロチ両替後、ワルシャワの旧王宮を含む旧市街(第二次大戦でドイツ軍が爆薬一万余を以って徹底的に破壊、戦後根強い市民運動により忠実に復元した評価も含め世界遺産に登録)を見学した。ワルシャワの市街戦は大規模な市民蜂起で、約二十二万人が殺戮された。その模様は同国を代表する映画監督アンジェイ・ワイダ氏(過去に京都賞受賞)の「地下水道」にて詳細だ。ちなみに世界に冠たる美術館やオペラハウスはない。同日ノーベル物理学賞のキュリー夫人博物館(生家)に行く。館内は夫人の部屋の様子が復元され実験・研究環境が窺えて興味深い。他この国の生んだそう多くない有名人は地動説のコペルニクス、ローマ法皇ヨハネパウロ二世だがとりわけショパンは絶対的で観光資源ともいえる。ワルシャワ郊外の生家は記念館となり一大観光スポットだ(市内にも博物館有)。幸い訪問が日曜日で定例のピアノ演奏会にてショパンコンンクール入選者の女性の演奏を聴けた。更に翌晩我々のツアー八名のみ対象の音大教授によるプライベートコンサートも鑑賞する。

さて、本題のアウシュビッツ強制(絶滅)収容所は古都クラクフ近郊のオシフィエンチムという市にある。ちなみに「アウシュビッツ」はドイツ名称であると初めて知った。此処を訪れるのは、単なる物見遊山とはいえずいささか緊張し、十年前アムステルダムの「アンネ・フランクの家」を訪れた時を想起した。実際アンネは母姉と共にこの地に一度は収容された。途中映画「シンドラーのリスト」の現在記念館となる工場をバス中より眺める。このアウシュビッツ強制収容所はナチス・ドイツが主にユダヤ民族絶滅(実際は二十八の民族約百五十万人がこの地で命を失った)を目指し、各地に建設された中の最大であり、現在は二か所が展示施設となり「負の世界遺産」となっている。そもそも強制収容所とは自国内の不満分子の拘留に端を発した施設で、だんだん範囲が拡がりユダヤ人絶滅がメインとなった。ここにはユダヤ人だけでなくポーランド人約十五万人が収容されたうち約半数の方が強制労働による疲労、病気、刑罰処刑により命を失った。とにかくここはこの世の地獄、いやそれ以上であった。当時の宿舎を利用した複数の展示室にはそのポーランド人の入所日と死亡日が記された写真が多数壁にあり私は三十名分ほど見たが早い人は三週間、長い人で十三か月位であった。幸い息のあるうちに出所できても幾ばくもなく病気や精神障害で落命した人もいただろう。また、脱走者が一名でると二名が生贄で抜きうち処刑されるという恐ろしい現実があった。有名な逸話は「コルベ神父」という日本に滞在経験のある四十才位の人が、自分には妻子があるとわめき助命懇願した者の代理処刑を「私は神父なので家族がいません」ということで名乗り出、二週間ほどの欠食放置の末、薬殺されたのだ。話は少しそれるがドイツ軍によるポーランド制圧の前の1939年頃ソ連軍によるポーランド侵攻時、ポーランド軍人二十五万人を捕らえ、数か所のソ連邦内収容所にて抑留した際約二万二千人を処刑するという事件があった。同政府は数十年間それを公式には認めなかった。前述ワイダ監督(父親は同事件で殺害された)が数年前「カティンの森」という映画を制作し告発した。

とにかくこのポーランドという国はドイツとソ連邦によって国家の骨抜きを目論まれたが、不屈の意志にて立ち上がってきた民族の国なのだろう。余談では、日露戦争のロシア兵のかなりの部分がポーランド人だったという。要はいやな優先にて危ない戦地に駆り出されていたのだ。 (2) に続く