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エッセイ



作曲家アントン・ブルックナーとは


 
アントン・ブルックナーはいわずもがな大作曲家である。世に3Bとはバッハ、ベートベン、ブラームスである。これに同者を加えると4Bともいう。ああそう、そんなにすごい人なのと諸氏には思われるだろう。不肖この私も論考を書くほどの造詣があるとは言い難いが、何故かあえて書いてみたくなった。

クラッシック音楽フアンでも聴きこむ人が限られ、普通の人はふれることが絶無であるこの作曲家についてわかり易く書いてみたい衝動に駆られた。事実この作曲家の作品の断片でもテレビなどでながれてくると「ああこれネ」といったものは一つもないと言っても過言でない。

何故かを考えた①作品のメインが交響曲であり、かつ一曲の演奏時間がほとんど七十分超ときわめて長い②その他は宗教曲が主なので一般人の耳にふれることが皆無といっていい③交響曲においては他の作曲家に比してもメロディラインも又長いので口ずさめるポピュラー化されたものがないといったところで、強く書く理由が少ない。

では逆に4Bにも数えられ、息長い人気・評価を得ている理由は強く考察できる①一気に異次元の世界に突入してゆける②現代社会に最も欠けている「静謐」の要素をもっている③不穏ともいえる不安感(焦燥ではない)や落日を仰ぎ見るような寂寥感がある④山中の霧がひき晴れわたってゆくような浄(きよ)らかさ気高さには、気功治療のような独特の気が感じられる⑤人が変わったような金管楽器の咆哮のうらには何事があるのか妙に魅かれ、またスカッとしたものを感じる。 

等であるがこの私なりの理由付けには物議もあるだろう。「へーそう、でも難しそう」と一般の人は言われるだろう。是非聴いてみてくださいよと気軽にすすめられる代物でないことは承知している。

このブルックナーを聴くという行為に堪えられる音楽ファンは同時にマーラー・ワーグナー(彼はワーグナーの信奉者)も結構好き、つまり長いやつに堪えられるという人ではないか?これらに慣れてくると日常生活でも少々我慢がきくようになる。

「なんだ、我慢力をつけるために聴くのかよ」とあきれる方もままいるだろう。これはいわば前述、現代社会に最も欠けている「静謐」の中に身をおき、堪えるということに通じるだろう。

では彼自身はいかなる人なのか?1824年、ベートベン第9交響曲が完成した頃にオーストリアで生まれ、没年は1896年で第1回国際オリンピック催行の年だ(日清戦争は1894年―95年)。

彼は生い立ち上敬虔なカソリック信者である。少青年時代にはかなり屈折を余儀なくされた生活だったらしい。永年教会付けオルガニストとして奉職しその腕前は当時の最高峰クラスであった。40才代中頃よりウイーン大学などで講義を持つに至り以後の十年位には交響曲第4番や弦楽五重奏の成功により、赤貧洗うが如き生活から解放される。そして生涯独身つまり拙い求愛(今でいうロリコン気味であったよう)はそのつど破れた。

性格は一言でいえば「優柔不断」が定説である。それは残された書簡・伝聞などからの推察であるが、客観的には交響曲では同じ曲に複数回の改訂を加えていることに代表される。何故変えるかといえば、後で自分が気になるのはもちろん他人からコメント(批判・批評)されて変えるのだ。

有名な逸話に時の皇帝に「批評家ハンスリックに私の批評をしないようにご下命ください」と嘆願をしたというのがある。

通常時代背景が人格形成やその作品に及ぼす影響は相当であるが彼に関しては超越している感が強い。「彼は今日という日のために作曲したのではない、時代からはみでて外に立っていた」とはかの二十世紀中葉の超カリスマ指揮者フルトヴェングラーのコメントであるが、今となっても更に「奇跡の人」という解釈がなり立つ。