ホームLinkIconエッセイLinkIconエッセイ 2007年11月号

エッセイ



人間と金「カネ」についての考察



金「カネ」とはなんだ?人間にとって永遠の命題といえる。 よって捉え方は個々人で相当違いがあり、時代背景にも相当左右される。 
 
現代社会は金余りという。では何故金余りなのか? また、その前に金=資本がこんなに地球上に滞留されるようになったかを考察した。ここでいう金はゴールドではない。昔はゴールドにほぼ同じだった。金本位制の時代もあった。

先ず金の源泉は何なのかを考えていったら大きな源泉二つにゆきあたった。一つは地下資源もう一つは軍事力だ。 例えばオイルマネーと称されるのは文字通り原油が源泉である。それが金に変換され資金市場等を循環している。その循環途上で現物商品が買われ、ビルが建ったりしている。鉄鉱石その他天然資源(木材なんかも)しかりだ。

軍事力についてだが、私の浅学的見地からゆくと、代表選手のアメリカ合衆国がドル紙幣を発行できる(維持できる)最大の要因は軍事力(政治支配力につながっている)だろう。同国の場合はそれに純粋な経営ノウハウ・実績の膨大な蓄積が裏づけされて現在の状況が成り立っていると思う。

それがないと、かってのソ連邦のように軍事力・政治力はあっても国際通貨として体を成さない。
相当考えたが、この二つが現代社会における金=資本の蓄積の根源要因であると私なりに帰結した。 もちろん地下資源の活用や軍事力の維持・行使の支持基盤は(科学)技術力である。

もちろん純粋労働力・高度サービス・知的財産等重要な要因は沢山ある。しかし、それらが高価な価値をもつようになり、一般人(会社)間で金(ここでは貨幣)と交換されるようになったのはせいぜい二百年であろう。つまり産業革命以降といえる。

産業革命の核は、地下資源・天然資源の有効な活用を可能にした技術(科学)である。技術を使ってそれら資源が製品化され、更に大量輸送手段たる蒸気船・機関車に運ばれ大きな金(ここでは富とよびたい)に変換された。

それを加速させたのが石油資源の活用(燃料として、最終製品の原料として)である。加えて鉄鋼事業等であろう。 いずれにしろ、金が膨張し、そのもつ毒性による病が蔓延している。またその副作用により、私のいう「人間・不可解な生きもの」のその不可解さを更に助長させている。

金がたまってくると偉くなったように人は錯覚する。当然、会社も国家である。まあ多少は仕方ないといえる。実際オケラでは夜も日もあかないであろう。

はなしをぐっと身近に置き換えたい。金の稼ぎ方は当然ものすごく違い(差)があるのは皆痛いほどわかる(わからないのは幸せというもの)が、使い方というのはこれまた面白いものである。
よく「もってんのにネー」と世間の人はいう。「ケチな人はケチを楽しむ」という分析がある。すごくなるほどと思った。

私は不動産屋である。よって継続して付き合っている家主さん等はプチ資産家・小金持ちが多い。(皆が皆ではないが) なかには不可解というか、おそれいるレベルにお金を出したがらないか、取る方を追求する人がいる。いわゆる「それ位じゃなきゃ残せないよネー」といわれる人である。

かと思うと意外なところには金を使うとか、必要以上にキップのいい人もいる。
こういう心理もある。今まであまり金については潤沢でなかったが、それなりにやり繰りして不自由を感じなかった人が、不動産の売却等でまとまった金が入ってきたとする。その金は特別に贅沢をしなくても徐徐に減ってゆくか、分散されて減ったように見える。

すると、とても寂しいような、不安な気持ちになってゆく。入ってこなければ、そういう心理状況を味わうことはなかったのに!

金と言うものは、通帳に入ってきて記帳されるとずっと前からいたような顔をする。当たり前だがこの微妙な感じはわかる人とわからない人がいる。 まだいろいろ書きたいのだが(あんまり書くと筆者は銭ゲバかと思われる)、紙面の関係でこれ位にしたい。

とにかく金は不思議なモンスターであり、不可解ないきもの人間の、多面体な心の一面をなすものである。